気ままにつまみ食い

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【甲子園】全国高等学校野球選手権を見て、30過ぎのおっさんが懐かしむ【日常】

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こんにちは、草オーラです!

 

夏の甲子園、高校球児の皆さんは熱戦を繰り広げていますね!

大会は序盤をもうすぐ過ぎようかというところですが、地元高校が勝ち進んでいるようなので頑張ってもらいたいです!

 

今日も実家に寄ってお盆の行事を一通りこなしてから親父と高校野球を見ていたのですが、過去に頑張ってもこんな大舞台には立てなかっただろうなとノスタルジーを感じておりました。

 

私と野球の出会い

野球を始めたのは小学校3年生。当時はJリーグ全盛期ということもあって、ちょっとイケてる運動神経のいい友達はこぞってサッカーをやっていました。運動音痴でチビな私も流行りにのってサッカーをやりたかったのですが、私を除く家族は体育会系一家で野球・ソフトボールが大好き。(母親はママさんソフトボールで全国優勝歴あり)そんな一家の長男坊、私は選択権がないまま強制的に野球漬けにされていくのであります。

 

全く身にならない小学生時代

私の小学校は近隣小学校で最低人数の小学校でした。母数が小さいと運動神経のいい子供の数も限られるため、近隣小学校と比べるとどの部活も弱小と言っていいレベル。(サッカーだけは別)

私個人も前からの2番目の身長で、50m走も六年生の時点で10秒前後(遅)女子にも負ける瞬発力で運動音痴の看板をぶら下げながらも部活に所属します。

万年一回戦負けではモチベーションも上がらず、サボってゲームに没頭したりする毎日で小学校を卒業していきました。

 

部活に真面目に取り組む中学校時代

『そうだ、自分がそんなに野球好きじゃないから上手くならないんだ!』という逃げの思考でこれまた当時全盛期だったスラムダンクに影響を受け、バスケ部入部を決意。当日の夜には親父の一刀両断で中学でも『野球』を続けることになりました。

反骨精神バリバリで小学校の名残があった私ははじめの方こそサボってFF7などをやったりしてましたが、同じ小学校から上がった同級生が真面目に部活に取り組むことに刺激を受け、無駄に厳しい中学校野球に身を置くことになりました。

中学に上がると近隣2学校の生徒が一つの中学に集まるということで、部活のレベルは上がります。万年一回戦負けではなく、『勝つ』ということの楽しさを知ることができたのはいい経験でした。

学年が上がるにつれ成長期に入り体格も変わってきました。前から2番めの低身長は中盤くらいまで成長、瞬発力はあまりなかったですが長距離走に関しては学年でも上位に食い込めるくらいの持久力をゲットしてました。

最終学年では『お前がレギュラーで使われている理由を教えてやろう、チームで一番バントができる、それだけだ』と監督に言われた時は『バカにしてんのかこいつは?』という気持ちと『野球で一つ認められた』という嬉しさが複雑に混じり合いながらひたすらバントを絡めた打撃スタイルで2番セカンドの座を守り抜きました。当時の巨人軍、仁志選手が大好きでした。

というかこんな俺がレギュラー守り抜ける時点でそんな強いチームではないんですよね(笑)

それでも最後の大会で初戦突破できたので万々歳でした(笑)

 

野球との決別

中学最後の試合後、『高校野球をするには体格が向いていない』とはっきり悟った自分は『絶対に野球は続けない宣言』をして野球生活と決別。男子校に進んだ私は女子との交流を求めて吹奏楽部に入るのでした。

 

現在

ぶっちゃけ野球やってなかったらもうちょい色々できたんかな?とか思いますが、今でも小中時代の部活仲間とは顔を合わせることもあるのでいい出会いではありました。

同僚の息子さんがセンバツに出ていたり、甲子園の地で活躍している姿をテレビ越しに見ていると、『自分では絶対に選べなかった道を進んでいる姿』が眩しく見えます。

挫折だったのかもしれませんが、自分の中で折り合いをつけて良い経験だったと思えているので、これはこれで良しということでしょう。

熱中できなかったこと、諦めなければいけなかったこと、『後悔』として残っていることが、『後悔』ではない形で昇華できる時がある日来るんだなと、隣で昼間からへべれけになっている親父を片目に思いました。